小説

ラスト ワン マイル




はじめの一行

第一章 忍び寄る影

地下鉄の階段を上がり地上に出ると、ビルの谷間に澱んだ熱気が全身を包んだ。歩道を歩き始める間もなく、早くも首筋から背中にかけてじっとりと汗が噴き出してくるのを感じて、横沢哲夫はかるいためいきをもらした。
朝食を取ながら訊いた天気予報が頭の片隅に浮かぶ。確か東京十日続きの熱帯夜。今日は朝から三十度を超えているといっていたっけ。日中の予想最高気温は三十五度だったか……。

ラスト ワン マイル(楡周平)

決して特別個性的というわけでもない本書の主人公の横沢。彼の行動パターンから人となりをあきらかにしていくシーンと言えるでしょうか。実際のところ彼は仕事に対して不真面目ではないけど、言うほど前のめりな感じのタイプには見えません。それがあるキッカケで、変わらざるを得なくなる。この物語の裏のストーリーは彼の成長物語かもしれません。

本書の内容

ラストワンマイルとは?

本書のタイトルとなっている「ラスト ワン マイル」ということば。これのざっくりした意味は、主にもともと通信業界で使われていたようです。例えば光通信を基地局まで引っ張ってきて、最期の基地局から各家庭という最終区間。これは基地局の工事とは違い、一軒一軒のお宅の工事ということもあり効率があまりよくない。この区間の効率化や普及が通信業界の一つのテーマであった時期があったようです。これが運送業界にも援用されるようになり、やはりそれは配送センターから最終区間の各家庭へという工程のことを指すようです。

私の認識では、たとえばITと物流のたとえのなかで、ITは直接顧客と接点がないが物流はその接点がある。ある投資家が、顧客との直接の接点を持つ業態が最終的には強い、ということを言ったことから一気に一般のビジネス用語として広まったように感じています。これは今回の物語においても象徴的な話で、ITは直接リアルな接触のないビジネスに対して、運送というのはバリバリなリアル世界の実業です。その対比が今回の小説のテーマの一つのように感じました。

あらすじ

Amazonでの紹介文を転記するとこんな感じです。

本当に客を掴んでいるのは誰か―。暁星運輸の広域営業部課長・横沢哲夫は、草創期から応援してきたネット通販の「蚤の市」に、裏切りとも言える取引条件の変更を求められていた。急速に業績を伸ばし、テレビ局買収にまで乗り出す新興企業が相手では、要求は呑むしかないのか。だが、横沢たちは新しい通販のビジネスモデルを苦心して考案。これを武器に蚤の市と闘うことを決意する。

主人公の勤務先の暁星運輸は、宅配便を主にやっている運送会社です。宅配便の売上においてとても重要なのが、顧客からの荷受け窓口です。にもかかわらず、二つの大手コンビニチェーンから「今までの独占契約ではなくて、郵政の宅配との併売をしたい」という申し出がありました。郵政の宅配は、すべての設備投資を国がまかなってきた形で体制を作ってきたものの、民営化のあおりを受けて民間との仕事の取り合いが発生しているのです。彼らの有利な点は、かなりのコスト負担を国が行ってきたわけで、そういった商品開発にかかったコスト負担を事業体としてしていません。その身軽さを武器として、宅配に関して140円も安い値段をつけているのです。コンビニに荷物を預けに来た顧客が、どちらかを選ぶかは日を見るより明らかです。コンビニが郵政を選ぶということは、暁星運輸の負けをあきらかにするようなものです。

しかしその話をはねつけられるわけでもなく困り果てていたときに、「蚤の市」からの実質的な値下げの圧力がやってきた。荷物の取次窓口を失い、莫大な利益を失い、暁星運輸はもはや会社として立っていられないほどの売り上げ減少が目の前に迫っています。

そんな時に起死回生の一発をもくろんだ横沢は、社内であるビジネスプランを提案します。それは運送という下請け企業が、ビジネスのフロントに立ち、顧客との直接取引を行うことができる、運送業のビジネスモデルを根底から覆すものでした。このプラン、会社で承認されることはできるのか。そもそも、彼らが仕事を失うまでに完成するのか。さらにいうなら、ここに買収の危機だったテレビ局も絡んでの超大型プロジェクトになるわけですが、そのプロジェクトは本当に動き出すことができるのか。そんなビジネス現場で戦う人たちのお仕事小説。

もはやビジネス書・・・?

この本を読んでいて、ビジネスの現場にいる人は少なからずワクワクするものがあるのではないでしょうか。ありそうな会社の危機に、起死回生のアイデアを思いつく。これまで仕事は惰性でやってきたのですが、急に活き活きし始めるんですね、横沢さんが。もう休みなんていりません!なんていう風に。
まあ、正直、本来のビジネスの現場でこれほどまでとんとん拍子に話が進むかは微妙な部分はあります。ただ、私たちの考え方として、単に今までの思考の範囲内で防戦一方だったとしたら、たぶん暁星運輸はなすすべもなく沈んでいっただろうと思います。こういったピンチに底力を発揮することができるか、できないかはとても大きな違いでしょう。

きっと古い既存企業が持っている体質に対する問題意識、郵政民営化に対する問題意識、そしてIT企業の時価総額の実態のあいまいさ、といったビジネス上の様々な問題提起も本書の中で行われているような気がします。世の中を冷静に見る中で、この小説というのはフィクションというかたちをとった経営の教科書なのかも、なんて思いましたがいかがでしょうか。話のネタ的には今となっては少し古い感じですが、その時代間の習性をしたうえで読み込むと、とてもためになる一冊だと思います。

 

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