はじめの一行
はじめに
「死ぬんじゃねーぞ!」
なんて突然言われたら、びっくりするかもしれません。
まずこの本のタイトルについて、ちょっと説明させてください。
これは、わたしが自分のライブでつい叫んでしまう言葉なのです。
引っ込み思案で自信がなかった十代のころ、私が心の奥に閉じ込めていたひそかな、確かな夢は、いつかステージに立ち大好きな歌を歌うことでした。今その夢が奇跡的に実現し、ステージの上で、歌と光とお客さんの心が重なった時、いつもこう感じます。
ああ、生きててよかった。
しょこたん、イジメ、そして死ぬんじゃねーぞとくれば、なんとなく意味は通じるように思います。
しかしまああえて、このようなまえがきを書いたのもその言葉に強い思い入れがあるのだと思います。
というのも、本書の中で明かされますが、ご自身もやはりいじめを受けて、死を覚悟したこともあるそうです。
しかし、そんな状況を超えた今あらためて思うことは、死ななくてよかったという事。
そんな思いが込められています。
本書の内容
イジメという社会の靄の中で
イジメという言葉を聞いてどういうイメージを抱くでしょうか。
筆者のような昭和世代でもやはりいじめはありました。
というか、たいてい小学校などではクラスで1人か2人、全員が共通して嫌いな奴というか、イジメの対象がいたものです。
くつを隠されるとか、傘が亡くなるとか、ランドセルに何かを入れられるとか、ハブられるとか。
まあいろんなパターンがありました。
しかし、それも、学校という限られたスペースでの話でした。
朝8時半から、夕方くらいまで。
とにかくその間を耐え抜けば、まあ、そこそこ安心な家があったわけです。
しかし今の子供たちには、スマホがあり、SNSがあります。
つまり逃げ場がない。
24時間、イジメは追いかけてきます。
そして、いじめっ子が別でいじめられるなんて言うこともあるようで、イジメはますます陰湿に、常在化してきているようです。
イジメの本当のツラさ
実は私自身、子どものころにイジメにあったことがあります。
といっても、幼稚園ぐらいのころだから、たぶん高が知れているんだと思います。
とはいえ、自分としては、それなりにインパクトのある思い出で、今でもはっきり思いだすことができるくらいですが。
あの時に、いじめの事実自体もつらいのですが、もっとつらいことがありました。
たとえば、担任の先生に言いつければ、先生はイジメられた私が悪いというのです。
あなたが、しっかりしないからでしょう。
あなたが、キッチリ主張しないからでしょう。
そして家で両親に話したとします。
親は例えば、「あの子はそんなにひどい子をする子じゃない」といじめっ子を弁護する。
また、父親はやはり自分が弱いからだとしかりつけられる。
つまり、そういった孤独を一手に引き受けざるを得ない環境を周囲の大人が作ってしまうという事なのです。
それこそがイジメられる子どもを追い詰めてしまいます。
イジメられた経験のあるしょこたんによるいじめの実態開示
本書はそういったいじめの複雑な心理や病巣を、実際にイジメにあって自殺まで考えたしょこたんが白日の下にさらそうとした一冊。
なかには、ほぼ現役世代のいじめ経験者へのインタビューなどもあり、かなり生々しい話が収録されています。
これを見たとき、もしかしたら、ハッとする人がいるかもしれません。
イジメは学校だけではありません。
たとえば、それは職場でも行われているのではないでしょうか。
そういったときに、対象となっている人の肩を持てる人となれる人が一人でもいれば、自殺は減らせるのかもしれません。
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