目次
はじめの一行
まえがき
現代に生きる私たちはつい、「生きるというのはなかなかしんどいものだな」などとつぶやいたりします。
また、「ゆっくり休んでみたいな」とか、「こういうはずじゃなかったんだけどな」としみじみ思うのも、今の自分が生きづらさを感じていることの表れです。生きづらさには人それぞれの事情が背景にあるでしょう。
しかし、ここのその背景事情が直接的に生きづらさというものを生み出しているわけではありません。人間としてこの社会に生きている限り、誰もが経験しているのが生きづらさなのです。
ふつう、人は自分が経験している生きづらさに対して、それは自分特有のものだと思っていることが多いと思います。
自分だけがこんな思いをしている、という感覚がよりその生きづらさを助長します。
しかし、本書でいうのは、「そもそも人間として生きる以上、誰もが生きづらさを感じているんだ」と説きます。自分だけと思ってるけど、みんな一緒だよ、と。
こういったまえがきに、ふと目を止める、ということもあるのかもしれません。
自分の着づらさから抜け出すヒントをここに感じるまえがきと言えるかもしれません。
本書の内容
誰もが感じる生きづらさ
前書きでもあったように、人として生きる以上、生きづらさはある。
それを生み出しているのは、個別の事情と思われがちですが、実はそうではない、と言います。
これは私の解釈ですが、そういった社会や事情をどう受け止めるかにかかっているのではないか、ということではないでしょうか。
そういった生きづらさから抜け出す方法として著者は、まず「自己を発見する事」とし、さらに「この世界での経験の仕方を変えること」と言っています。
ところで、自己を発見するなどというと、大袈裟なイメージを抱きがちです。
滝に打たれてとか、日々座禅を組んでとか、まあそんな修行の末にある日突然、雷に打たれたかのようなひらめきがあり、自己の発見やこの世の仕組みを知ることになるのが普通のように思います。
しかし、著者はそんなことは必要ないといいます。
行動瞑想
実際に自己を発見するに際して、瞑想というのはたぶん多くの人が思いつく手段だと思います。
しかし、これをしっかりやろうとするとなんだか難しそうです。
静かに目を閉じても、雑念が次々湧きあがって、こんなのでいいのか?なんて心配になってしまいます。
しかし著者はそんなことをする必要はない。
行動瞑想をすればいい、というのです。
その行動とは「夕日を眺める」「作業や労働に没頭する」「裸足で歩いて感触を味わう」などです。
まず基本は、一人です。
一人で家に没頭できるような行動をただただ無心でやってみる。
もちろんはじめのうちはいろんな雑念も出てくるのでしょうが、しばらく続けていくほどにだんだんと頭がクリアになってくる。
そういった中で悟りを経験し、充足感を感じることができるといいます。
考えてみればこういった行動って、よくやっているわけですがあえて行動に集中するということはしていなかったように思います。
あらためて行動に集中し、内面を見つめることで、何かしらの至高体験があるのかもしれませんね。
お手軽すぎてやらない理由はありませんので、ぜひ実践してみたいと思います。
いやーーー、読書って素晴らしいですね。
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