はじめの一行
さりげない共感?
おそらく、本書を手に取る人の多くは、なにかしらの兄弟における悩みのようなものを抱えているのでしょう。
一般的に言えば、きょうだいは仲のいいもの。
血のつながった血族だからこそ、共に生きていくべきもの。
そんな常識感があるのだと思います。
しかしそこには、愛だけでは語ることができない実情があります。
きょうだいに関する悩みには、どこかしら非道徳的な自分を責める感情が沸き立ちやすい。
それは、実はあなただけではない。
そういう書き出しなのではないか、と感じたのが本書の前書きです。
きょうだいは、同じ境遇を分かち合って育った、まさに同胞、はらからであり、親以上に支えとなる存在となることもある。しかし同時に、きょうだいは他人の始まりともいわれるように、永遠のライバル、競争者でもあり、一つ間違うと、愛情や財産の配分を巡って反目し、時には骨肉の争いが繰り広げられることもある。
きょうだいが親に劣らないくらい大きな影響力を盛ったり、きょうだい間の葛藤やコンプレックスが、そのひとの人生を左右しているケースも少なくない。しかし、親について語られることは多くても、きょうだいについて語られることはあまりにも少なかった。
本書では、きょうだい間のコンプレックスというテーマを、真正面から取り上げてみたいと思う。
本書の内容
長寿時代だからこそ浮き彫りにされるきょうだいの問題!?
本書の内容と、直接は関係ありませんが、私の感覚としてこんな思いがあります。
一昔前なら、親は60歳代で亡くなった。
病気などで、一時的に寝込むことはあっても、それが何年にもわたるケースはまれ。
しかし、いまや介護という状態が長くあったりする確率が増えてきました。
その親の下の世話を誰がするのか。
そしてたいてい長子やその嫁が親を引き取る。
親は最も身近な人間を攻撃する。
やるせないなか、なんとか施設に親を入れたいと考える。
離れて暮らすきょうだいは、それをいやがる。
世間体なのか何なのか、親がかわいそうだと言い張る。
介護の現場など知らず・・・。
そうやって、きょうだいのいさかいは表面化する。
なんとも皮肉なことに、親とのかかわりが兄弟を対立させることも少なくない。
今の社会のひとつのありがちな物語。
きょうだいにある生存戦略
子どもというのは、いかに親の庇護を受けるか?
これこそが生存戦略ともいえます。
特に小さいうちは。
長子は、安泰な状況に、弟や妹ができる事でその存在が危ぶまれます。
弟や妹は、長子が一手に受けていた親の愛を、自分のものにするための戦略を持ちます。
そうやって奪い合い、蹴落としあう。
良し悪しはともかくとして、きょうだいという存在の根底にある動機はこんなものではないでしょうか。
それがその人々の性格、その後の人生にどんな影響を与えるのか。
これが本書では明らかにされます。
いま、きょうだいの事で悩んでいるとしたら、そのメカニズムを知ることで少しは心が軽くなるのかもしれません。
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