はじめの一行
「与えあう」時代がやってきた
私の祖父には、たくさんの面白い武勇伝があります。
そのひとつを紹介しましょう。戦後、牧師をしていた祖父は収入源がなく、絵を描いて暮らしていました。
ある日、長男に「この絵を街で売ってきなさい」とことづけます。
長男は、絵を担いで大きめの家のドアを叩いて「こんな絵はいりませんか?」と訪ねて回ります。
でも、敗戦直後で心に余裕がないご時世と、田舎だったこともあって、たくさんの家を回っても「お父さん、1枚も売れませんでした!」と、夜に絵を担いだまま帰ってきたんです。
エピソードから始まるまえがき。
このあとおじいさんは、売れなきゃなんでタダでおいてこなかったんだ、と長男をしかりつけます。
そこが、本書のテーマ「与えあう」というところにつながってくる感じです。
しかし、こういう身近な逸話があるってなんだか奥深さを感じさせられます。
本書の内容
単なるGIVEのお話ではない
タイトルにある「与えあう」という言葉。
なんとも耳障りのいい言葉です。
すぐに思いつくのはボランティア活動だったり、寄付だったりというのがあると思います。
それはそれで美しい話なんですが、本書はそこからもう少し深いところに入っていきます。
というのも、ボランティアや寄付の背景にある「自己犠牲」という感情。
ここにフォーカスを当てていきます。
だれかにGIVEしたときに私たちはその相手からのリターンを求めがちです。
そういった取引を前提にしたGIVEというものが割と一般的にある。
しかし実際に世の中のしくみはそれよりもむしろ、誰かにGIVEすればその人が感じた幸せがもとになって別のところにGIVEが発生する。
この辺りを「推し活」で見てみると、ファンは推しのために尽くします。
つくされた対象の人は、それで元気が出たり活動資金ができたりします。
そうしてさらに多くの人に推しは触れることになり、さらなる推し、つまり救われる人が増えていく。
そうやって、GIVEはまわりまわってどこからともなく自分に返ってくるという考え方。
ところで本書の内容とは少し離れますが、推し活ってある意味承認欲求を満たす場じゃないかな、なんて思っています。
自分のやったことが、なんとなくその相手の糧になってる実感を感じられる。
とくに、遠くの芸能人というより、そこそこ身近な例えば歌い手さんとかYouTuberなんかだと自分が支えている感を感じやすいので。
本書の結論的な話として、人は「無」を求めていると言います。
例えばパートナーを手放せと言われてうろたえたとしたら、それは何かしらの感情に支配を受けてるという事だといいます。
そういった感情の支配を一つ一つ紐解いて、無に近づいていこう、と言っています。
後半戦はかなり深い話でしたが、とても興味深く読めました。
いやーーー、読書って素晴らしいですね。
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