はじめの一行
すべてが匿名
夏目漱石の「こころ」といえば、教科書などにも取り上げられるポピュラーな小説です。
読み始めて何となく違和感を感じたのは、どうやらすべての登場人物が匿名であるということ。
始まりもどこか勿体つけていてミステリアス。
そんな風に感じるのですがいかがでしょうか。
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起こすごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆をとっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。その時私はまだ若々しい書生であった。著中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書を受け取ったので、私は多少の金を工面して、出掛けることにした。私は金の工面に二、三日を費やした。ところが私が鎌倉について三日と経たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちに進まない結婚を強いられていた。彼は現代の習慣から言うと結婚するにはあまり年が若すぎた。それに肝心の当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいかわからなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼は固より帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
本書の内容
心 先生の遺書
この小説、発表当初は朝日新聞に連載されたもののようです。
当時の人々にとって娯楽は少なく、新聞に連載される小説というのは、非常に注目度が高かったそうな。
そこでの「こころ」は「心 先生の遺書」というタイトルで連載されていたそうです。
それが2014年、朝日新聞では当時のイメージを残したまま、再掲されたとのこと。
この小説は、私の記憶の範囲では、登場人物の名前が出てきません。
「私」がいて、「先生」がいて、その奥さんがいる。
これら全員、固有名詞が出てこなかったように思います。
また、どこか謎めいた入り方があり、小説の半分くらいは先生が私にあてた遺書です。
さしたる情報も明かされぬまま進んでいく物語。
そこにはどこか微妙な緊張感があります。
何が言いたいのか?
また、この小説はとらえどころがないようにも思います。
考えようによっては、読み手によってそのありようが変わってくる。
私自身、少し前に読んだときと、最近読んだ時ではその印象が随分変わっています。
直接的に何かを伝えるというより、そういった様々な考え方を想起させる仕掛けがあるのかもしれません。
私にとっては、自分自身の価値観の持つ重要性みたいなものを感じさせる作品でした。
繰り返し、学校の教材などに取り上げられるのも、そういった作品の特徴があるからなのかもしれません。
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